真善寺 住職挨拶

真善寺住職 轟信宏


真善寺住職 轟信宏(とどろきしんこう)でございます。当寺院ホームページをご覧並び参拝いただき誠にありがとうございます。真善寺は時代にあったお寺なのかもしれません。時代にあったと言ってもどこがと思われるかもしれません。それは寺子屋ということです。お寺は昔、寺子屋でした。子供が境内で遊び、お堂で勉強し、大人に褒められ怒られと、大人は大人で情報交換、交流など社交の場でした。しかし、いつからかそんな風景がなくなってしまいました。実は、新しいお寺のありかたではないのですが、今となっては寺子屋活動自体がお寺の新しいスタイルと見られているようです。お寺は葬儀や法事をするだけの場所ではなく、憩いの場所なのだと考えております。当寺院はオープンなお寺です、風通しのよいお寺です、皆様の生活によりそったお寺となるよう、日々努力してまいります。楽しいお寺、笑顔のお寺を目指します。一度お参りいただければ、「真善寺の居心地のよさ」がおわかりになるかと思います。

お寺は楽しい場所なのです、誰でも訪れることのできる場所なのです

真善寺Q&A

真善寺はDIYのお寺

ホームページをご覧の方は、仏具もそろい、本堂も境内整備もしっかりしたお寺だと思っていただけるかと思います。このほとんどを、できる限り私自身がDIYしているのです。もちろんできないことは業者に依頼します。しかし出来ることは何でも自分でやってみるというのが私のスタイルです。中庭の石庭や檀家の座るベンチを作ったり、駐車場整備、本堂修理なども行なっております。皆様が居心地のよいお寺と感じていただけるよう日々取り組んでおります。


お寺は寺子屋、公民館

お寺は気持ちがリセットされる場所だと思います。つまり、心、気持ちの切り替え場所でしょうか。手を合わせて目をつぶる、それだけでも落ち着くはずです。色々な意味で生活に密着していたお寺ですが最近は、お寺対世間においての見えない壁があるような気がしています。その壁はお寺自らがもっともっと間口を広くしておかなかったからだとも考えます。住職として思うのは、お寺は楽しいところということです。多くの方々のコミュニケーションの場所となることがお寺の役目だと思います。ストレートに申し上げますと、お寺は公民館みたいなものであるべきです。様々な人が出逢い喜ぶ場所にしていきたいと考えます。その中で、お寺とはこういうところ、阿弥陀如来さまはこうなんだ、真善寺はそうなんだと、一つ一つ気づいていただければ幸いです。


お寺も情報化社会

お寺だけ時代に取り残されているというのが正直な気持ちです。数百年前からお寺は布教活動などをして檀家やファン(檀信徒)を増やしてきました。町に出てお話し、集会でお話して教化活動をしていました。それも時代と共にあまりなくなり、檀家制度という小さい世界の中での活動となっていたのではないでしょうか。時代はかわり、昭和から平成に、アナログからデジタルにと生活環境は比べ物にならないくらい進化しています。しかしお寺は何も変わっていない。正直変わることもないのです。ただし、「お伝えしたいことは伝えないと伝わらない」ということです。先祖代々お寺とのつながりを末代に伝承している家も少なくなりました、となるとお寺に若者が関わることもなくなります。このように周りの環境が変わったのだから、布教ではないですが伝えたいことは伝える、その手法が現代版になったということです。それがインターネットを利用した布教教化ということだと考えております。よってお寺の思い、住職の思いをお伝えし続けることができるよう努力致します。お寺からの確かな情報を発信し続けるのも重要な役割と考えております。


住職は介護福祉士

教師資格(僧侶資格)はもちろんですが、私は介護福祉士(国家試験)の資格がございます。私の考えでは、ますます世の中も檀家も高年齢化になっていきます。とくに、お寺に出入りする方は、年齢層(おじいちゃん、おばあちゃん)が高いとも言えます。また、バリアフリーのお寺は全国を見てもほんの少ししかございません。檀家さんにも体が不自由な方もいらっしゃいます。このような背景から、僧侶として、介護福祉士の資格を有することにより、第一歩お寺のバリアフリー化につながり、その先に本堂、境内、客殿などすべての高齢者や体の不自由な方にも安らげるお寺となればと思っております。僧侶として、心のバリアフリー、お寺のバリアフリーを目指しお寺改善に努めております。


真善寺住職は介護福祉士
■介護福祉士について

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